人は境界を引きたがる。

 
須賀です。

昨日の人種差別的な話のつづき、
というわけではないのですが、
今日は境界線のお話。

人は意識的、無意識的に、必ず
どこかに境界線を引いています。

わかりやすいのは、自己と非自己。

自分とそれ以外、という境界です。

自分、というのは「皮膚」を境界と
していることが多いようです。

自分の皮膚の内側は「自己」であり、
外側にあるのは「非自己」となる。

これ、なにか問題になるの?と
思うかもしれません。

問題になりやすいのは、境界線が
そのまま「戦線」になる場合です。

例えば、イスラム原理主義の人たちが
欧米を敵にまわすのは、自分たちと
相手側との間に境界を引き、そこに
戦いを持ち込むからです。

自分たちの思想が正しく、相手の思想は
間違っていると考え、相手の間違いを
正すことは正しいことだと考える。

これが境界線の弊害です。

思想的な境界がとくに戦線になりやすい。

また、自分の中に境界を引くこともあります。

人に対して温和な自分は自分らしく、
攻撃的で批判的な自分は自分ではない、
みたいな境界を引くと、一方の自分を
否定するようになってしまうわけです。

でも、本来、この境界はすべて、
幻想だと考えられています。
というか、幻想なのです。

実際に存在しているわけではない。

二項対立図式になっている境界もすべて、
実際にはふたつに分かれているわけじゃない。

善と悪
過去と未来
陰と陽
ブラスとマイナス
ポジティブとネガティブ

こういったすべて。

本来はひとつのものであるはずなのに、
その両極を取り出してきただけ。

真ん中に境界を引くから、もう一方が
悪いものに見えてしまうというだけのこと。

人と人とのいさかいでも、結局のところは
境界の引き方がポイントなのですね。

自分、相手、どちらかか両方が、
正しい、間違っていると思うから
相手を正そうとする力が生まれてしまう。

それこそ無駄なエネルギーなのですよね。

自分と相手は違う人間だと理解できれば、
スレ違いを客観的に見ることができるのに。

となると、自分と相手の間にも境界が
あるのでは?と思いますよね?

たしかにそう。

ここの境界を乗り越えるには、もう一歩
努力というか、思想的ハードルをもうひとつ
超えなければならないようです。

その話は、いつか。

では、また。

 

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