愛の定義って?

 
須賀です。

また抽象的な話に戻ります。

意識と無意識の話を広く深く探求していくと、
当然のように「愛」が大きなキーワードに
なってきます。

隣人を愛せよ、と、イエス・キリストも
言ったそうですが、集合的無意識では
すべての意識と自分の意識はつながっている、
というかそもそもひとつであるわけで、
であれば、自分を愛するように他者も
愛しましょう、ということになる。

ま、言葉で言うのは簡単です。

意味は理解できるけど、実際には
どうしたらいいのでしょう?

そもそも、愛する、ってどうすること?
なんて疑問が出るはず。
(少なくとも僕は出ました)

なにげなく使う言葉ではありますが、
その意味するところを正確につかんでいるか
どうか?は疑問ですね。

もちろん、人それぞれで解釈の違いは
あって当然なのですが。

ということで、まずはWikipediaによると、
・・・
日本の古語においては、「かなし」という音に
「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、
相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、
守りたい思いを抱くさま、を意味した。
・・・
とのこと。

わかったようなわかんないような。

Google検索でトップにくるのはこれ。
・・・
あい【愛】
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。
 かわいがり、いつくしむ心。「子にそそぐ―」。いつくしみ恵むこと。「神の―」。いたわりの心。「人類―」
 大事なものとして慕う心。「母への―」。特に、男女間の慕い寄る心。恋。
 その価値を認め、大事に思う心。「真理への―」
・・・

なんとなくしっくりくる感じ。

感覚的には「愛ってなにか?」はわかる、
けど、現実的に「愛する」となったときに、
いったいどうしたらいいのか?

これに答えを与えてくれるのがですね、
エーリッヒ・フロムさんという方です。

フロムさんの著書に『愛するということ』
ってのがあるのですが、その中で、
こう書いています。

・・・
愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。
愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることでもらうことではない、と言うことができよう。
・・・

愛は「活動」である、と。
ただの感情ではないというわけです。

実際に、こうも書いています。
・・・
愛は心の中にあるだけでは、何の幸福も生み出さない。
愛は外に対して表現されて初めて愛を他人の中に生み出すことができる。
・・・

思っているだけじゃダメってことですね。

じゃあ、なにを表現したらいいいのか?

フロムさんが言うには、
・・・
愛とは、愛するものの生命と成長に積極的に関係することなのである。
この積極的な配慮が欠けているところにはいかなる愛もありえない。
愛とはなにかを、育てること。
私は愛する人が、私に仕えるためにではなく、自分自身の方法で、成長し、発達することを望むのである。
・・・

成長を促すわけですね。

また、『愛と心理療法』の著者、M・スコット・ペックさん
は次のように愛を定義しています。
・・・
愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、
自己を拡げようとする意志である。
・・・

なんとなく、アグレッシブな感じが
してきましたね。いい感じ。

もちろん、ふんわりとしたいとしさ、いつくしみ、
みたいものも愛なのでしょうが、最後の定義のように
もっと積極的な感じになると、表現したり、
行動に移しやすくなるように思います。

参考までに、「愛する」という行為を
アップデートさせてみてください。

では、また。

 

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