「停滞」を解消する

須賀です。

ダライ・ラマさんの言葉です。
「人間性は停滞してはならない。
 停滞は一種の死だからである」

いま、新型コロナを発端にして、
いろんな騒動が起き、多くの人の
生活が変化を余儀なくされています。

いままで当たり前だった日常生活が
同じようには送れない方が多い。

ストレスフルな状況かもしれません。

が、これはピンチではなく、
かといってチャンスでもなく、
単なる「転機」だと思います。

状況や環境が変わると、
それまでには見えなかったところ、
盲点が、ふと見えるようになります。

テレワーク、リモートワークに移行して、
「仕事がすごく楽になった」と感じる方も
増えているそうです。

決まった時間の通勤だとか、
顔を合わせての会議とか、
得意先への訪問だとか、
職場の横のつながりとか、
場合によってはあってもなくても
良かったものがなくなる。

業種や職種によるでしょうけど、
無駄が削ぎ落とされる部分もあるでしょう。

いままでわかっていた、見えていなかった、
両方の無駄や停滞が解消される機会。

結果として、職場環境がより「合理的」に
なっていくところもあるでしょう。

生産性ってやつが上がるかもしれない。

それはそれでOKと思います。

ただ、同時に、これまで「非合理的だ」と
感じていたなにかがなくなって、
寂しさを感じるところもあるでしょう。

職場の横のつながり、雑談みたいな、
そういうものがなければないで、
なんだかつまらない感じもする。

変化のタイミングですから、
いろんなものが出てきます。

で、ポイントは、今日のタイトルの
「停滞」なんですよ。

読んで字のごとく、
停まって滞る
のが停滞です。

新型ウイルスさんの影響を受けて
社会は否応なしに変わってしまう。

いまは変化の途中なので、
どうなるかはわかりません。

ということは、これまで安心、安全だと
考えられていた方法が、これからも
同じように通用するとは限らない。

「政府がどうにかしろ!」と訴えるのも
ひとつの方法ですが、待っていても
政府が希望通りにしてくれる保証はない。

そもそも社会の構造が変わるんだから、
政府という存在が適切に機能するかどうかも
疑わしいところがある。

結局のところ、自分たちで
できることをやるしかないのですね。

じゃあ、自分のできることって、
いったいなんだろうか?

答えになるかわかりませんが、
おそらく「適応」なんですよ。

自然界は弱肉強食とか言われますけど、
「適者生存」が現実的で、新しい環境に
適応できるのが生き延びられる。

だから、いままでの生活を維持したい、的な
停滞感のある発想は生存の危機かも。

ここ最近、起業家育成とか、基本的欲求とか、
成人発達理論とかの話をしてきたのは、
なんとなくの理由があるんです。

これからは、どうやら、
「今まで通り」が、ない。

パソコンで例えれば、
OSが刷新される感じ。

過去のOSはサポート終了。

Windows 7をだましだまし使うのは無理で、
Windows 10にするしかないみたいな感じ。

自分をアップデートしましょう。

誰かに従う生き方ではなく、
自分の心に従う生き方へ。

 

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