「コロナ後」の生き方

須賀です。

いつ収束するか?はわかりませんが、
コロナ騒動もいつかは終わります。

そのとき、どんな社会になっているか?

僕はそこを見据えた、というか、
想像して準備することが大事かな?
と思うのですよね。

もちろん、現状をどうにかする、
というのはあるとして。

ただ、その対処法は他の人がいろいろ
言っていることのなので、信じられる人の
意見を実行していけばいいと思います。

「誰が信じられるのか?」は、
人それぞれ違うでしょう。

政府とマスコミのの報道を
そのまま飲み込む人もいるでしょうし、
アンチ的スタンスの発言を重要視する人も
いるでしょう。

どちらの意見も参考にしつつ、
独自に情報収集する人もいる。

どれが正しいか、間違っているか、を
判断するのは、自分自身でしかない。

それこそ、ロシアでは
プーチンが市中にライオンとトラを放って
市民の外出の抑制を図っている、なんて噂を
信じてもいいし、信じなくてもいい。

「それこそ良策だ」と思ってもいいし、
それを受けたスポークスマンが言った
「伝統に照らしたらクマを放つ」ってのを
支持してもいい。

なんでもいいんです。

ただ、大体はわかりますよね。

現状のウイルス対処法って、
・免疫力を高める
(食事、睡眠などの質の向上)
・ウイルスを近づけない、拡めない
(手洗い、人に近づかない)
ざっくりですが、こんだけじゃないかな。

でね、
このスタンスはやめたほうがいい
というのがあります。

いまだけでなく、コロナ後にあるといい
スタンスかもしれません。

それが、

「誰かが言った、その通りにした」

という依存的な感じ。

マスコミを通じてでも、SNSでも、
「声の大きい人」の発言が広く
拡散されていくものです。

会社の会議とかでもそうでしょ?

結局は力があるとか、プレゼンがうまいとか、
なんか説得力のありそうな人の言葉を
雰囲気で飲んでしまうものです。

スピーチ、営業、交渉、コーチング、
ファシリテーションとかのスキルが
高い人は「誘導」がうまいのね。

そこで、
「それ、本当かな?」と
疑う心を持ってもいいんですよ。

むしろ、疑うのが健全だと思っていい。

「なんか、おかしくない?」
みたいな感覚がスタート地点。

そこから始まります。

政府や組織の力が弱まっていく、
そんな流れがあって、同時に高まって
欲しいのですよ。

「自分の身体、頭、心で考える」力が。

自分の身体の声を聞き、
自分で調べて、頭で考えて、
自分の心が、直感が示す方向を見て
行動を選択する。

みたいなスタンスへの変換。

これがひとつの「コロナ後」の生き方、
なのではないかと思うのですね。

誰かの指針を持つのはいいと思うのです。
専門家の意見を聞く、という姿勢で。

が、盲目的に従属する、従順になることは、
避けたほうがいいかもしれません。

最終的に、自分がどう生きるか?の
責任は、自分にしか負えない。

という、シンプルな現実を
突きつけられてもいる。

それを踏まえて、
自立、自律した人同士がつながり、
それぞれの強みを活かしあった、
相互依存した調和の取れたコミュニティが
生まれていくのでしょうね。

いろんなコミュニティが生まれるし、
すでにあるところに参加していく人も
増えていくでしょう。

いくつかのコミュニティに横断的に
参加する人も、もちろんいるはず。

コミュニティ同士のいざこざも起こる。

ま、いろいろあるとして、
自分がどういうスタンスで生きたいか?
が、テーマになるのでしょうね。

いきなり一個に確定はできないでしょうが、
揺れ動きながらでも、探求していくことで
発掘されるか、発生する。

自分の外側と内側を、
よく観察してみてください。

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