<特別編> 須賀和ストーリー

僕は1980年6月17日、埼玉県蓮田市という、
ただ住宅だけがある、いわゆるベッドタウンに
須賀家の次男として生まれました。

2つ上に兄が、4つ下に妹がいます。
小さいころの記憶はあまりないのですが、
普通に元気な子供だったんだと思います。

おそらく特徴的だったのは、
「ひとりで遊んでいられる」
こと、でしょうか。

いま振り返っても、
誰かがそばにいないとさびしい、とか、
そういう感じはなかったですね。

これは、いまでも変わりません。
三つ子の魂百までってやつ。

小学校の高学年になって、
兄の影響を受けて、中学受験をすることにしました。
第一志望の開成中学も、
兄が通っていた第二志望の巣鴨中学も不合格。

地元の公立中学に通うことに。

高校受験では挽回しようとしましたが、
このときもやはり、
第一志望の開成、第二志望の筑附には入れず。

また地元の公立高校(浦和高校)へ。
※男子校です

大学受験では行きたいところに行こう!
と決意して、卒業後一年間の浪人生活を送り、
九州大学、大阪府立大学、筑波大学を受験。

全滅でした。

この浪人生活で、ひとつ目の転機があったんです。
それが、
ロバート・ハリスさん
のラジオ。

勉強しながら、というか、勉強しないでラジオを
聞いていたわけです。

ロバート・ハリスさんは、一言で言うと、
アウトサイダー
なんですね。

世間の常識に縛られず、世界を渡って、
好きなことを、好きな場所でやってきた、
そんな経験があって、
そのエピソードをラジオで話していました。

単純に、それに憧れてしまったんです。

というわけで、
浪人生活は一年で終わりにして、
「海外に旅に出るために、お金を貯めよう!」
ってことで、フリーターになりました。

最初は、英会話スクールのフルコミ営業。
3か月で、一件も成約しませんでした…
この経験がどうやら大きいようで、
いまでも、人に電話をかけるのは苦手。
拒絶される恐怖が染み付いています…

で、
次がリゾートホテルのウェイター。

群馬県の草津温泉にあるホテルと、
山梨県の河口湖にあるホテルに、
通算で3年くらいいたでしょうか。

イベントやセミナー運営がスムーズにできるのは、
このときの経験が生きています。
クレームに対しての耐性ができたのも、
これのおかげ。

さらには、男子校出身特有の女子への耐性も、
この期間にどうにかしました。
初めてのアレも…

で、
リゾートホテルで働いて貯めたお金を、
海外へのひとり旅に使いました。

2002年にはキューバへ。
2003年にはイタリア、ポルトガル、スペインへ。
英語もまともに通じない国へ行く、という経験が、
「どうにかなる」という考え方のベースになっている、
かもしれません。

リゾートホテルでのアルバイトに飽きていた2004年に、
高校の水泳部の先輩から、
「スポーツライターにならないか?」
と誘われ、やることに。

フリーターを卒業して、
フリーランスのライターになったんです。

ラグビーの試合観戦レポートから始まり、
バスケの社会人チームの取材、
マイナースポーツ選手のインタビュー記事作成、
読売新聞の作成する野球、サッカーの小冊子を担当、
週刊少年ジャンプの「囲みコラム」の一部を担当したり、
ちょこちょこと仕事をしていました。

同じ時期に、縁あって
ある大手通販企業の会員向けに開催される自己啓発合宿の
運営を担当することに。
毎月一回、日本全国の会場に出向く、なんてのもありました。

ライターのつながりから、
某大手派遣会社の契約社員になり、
スポーツ指導者の講習会の運営担当をしていたこともあります。

ここで、暴露しておきます。

リゾートホテルでアルバイトをしているときには、
収入はけっして多くありませんでしたが、
支出が少ない(家賃なし、遊興費も限界がある)ので、
お金に困ることはありませんでした。

問題は、それを辞めたあとです。

本業をスポーツライターに転身してから、
まったく稼げなくなりました。
常にお金がない状態です。

ひどいときには、300万円の借金がありました。

借金の原因は、クレジットカードのキャッシングに始まり、
いわゆる消費者金融で借り入れをしていたことです。

実は、それを、
母が亡くなったときの「保険金」でチャラにしました。

母は、僕が借金をしていることを、
知っていたんですね。

亡くなる前に兄に遺言として伝えていたそうです。
「死んだら、保険金を和に300万円渡してほしい」
と。

ところが、
いったんチャラになったからといって、
思考がそうそう簡単に変わるわけではない…

チャラになったのをいいことに、
また気軽にキャッシング&借金をしていました。

当然のように、
大した収入がない状態ですから、
返済が滞ります。

携帯には毎日のように電話がかかってきて、
ときには、
家に返済を要求する担当の方が来られます…
(電話に出たくないのは、このときの経験から)

返済のためのお金がない状態で、
どうすることもできません。

逃げつづけていたとき、
封書が届きました。

送り主は、簡易裁判所でした。

恐怖に怯えながら、
指定された日時に裁判所へ…

罰を受けるのか?
と思いきや、
実はそうではなかったんですね。

残りの返済額を、
「利子をそれ以上積み重ねることなく」
分割で払いなさい、という命令を受けました。

ちなみに、
二社から訴えられたので、二回裁判所へ。

実は、
これで、返済が軽くなったのです。

前述の大手派遣会社でそこそこの安定収入を
いただいていたこともあり、
裁判所のおかげで返済計画が立ち、
どうにかすることができました。

そして、大きなキッカケ。
2012年の10月でした。

当時の友人が、
ある人を紹介してくださいました。

その方のセミナーで
音響を担当するサポーターになりました。

音響というのは、
セミナーの場面場面で、効果的な音楽を
タイミングよくかける担当。

タイミングが大事なので、
セミナーの内容にずっと、全部、集中している必要があります。

ということは、
「セミナー中はずっと、その内容に集中している」
ってことになります。

さらに、途中で眠くならないように
セミナー内容の進行ログを記録しておく
ってことも、ついでにやるようにしていました。

そんなわけで、副産物として、
教えている内容を僕なりにログにした、
その内容を、いつでも復習して、学べるようになりました。

そして僕は、
とてもとても重要な知識を得ることができました。

それが、
最先端のマーケティング
でした。

マーケティングの知識、スキルって、
普通に生活していたら、
ほとんど手に入らないものですよ。

そもそもが、
知る必要がないものですし。

でも、
なにか商品やサービスを広告、販売しようと思ったら、
急に必要なものに変わる。

ここでのパラダイムシフトが、
僕にとって重要でした。

僕は、
浪人生活からドロップアウトして、
英会話スクールのフルコミ営業をしたときから、
スポーツライターとしてページを獲得する営業活動でも、
「売り込む」ための方法がわからず、
まったく売れない状況でした。

そんなときに、
マーケティングという、
売るための方法が入ってきたのです。

「売れるようになりたい!」
というスイッチが、心の奥でオンになりました。

 

その後、Mr.X(仙人さん)、平秀信先生を中心に、
新たな学びを取り入れていきました。

というわけで、
最近は、個人起業家向けのWEBプロモーションを支援する
っていう活動が増えています。

だけど、実は、
僕がこんなふうにメルマガを書くようになったのは、
「女性の自立を支援する」
のが目的でした。

いまでもその思いはあります。

理由は、
母が亡くなる前のことで、
体調不良だと気づいて、
「病院に行ったら?」
と、何気なく言ったときに、
「お金がないのよ」
と言われたことでした。

そのあと母は、
痛みに耐えきれなくなったときに
「病院に連れていってほしい…」
と言い、
診察したときには、
すでに末期の大腸ガンでした。

その後のことは、言うまでもありません。

父とは離婚していませんでしたが、
客観的に見れば家庭内別居状態。

父について云々する気はないのですが、
もし母が、
ひとりで稼ぐスキルを持っていたならば、
「お金がない」
と息子に対して言うようなことには、
ならなかったんじゃないか?

そう思うのです。

僕はこれまで、
そこそこの年齢になってから「離婚したい!」という女性と
けっこう出会ってきました。

でも、
多くの方が、経済的な不安を理由にして、
離婚して、自由なライフスタイルへと踏み出せないでいます。

脱サラして起業しても、すぐには思うように稼げない人がいます。

離婚したい女性も、脱サラしたい人も、起業したての人も、
同じ悩みを抱えています。

「どうやって稼いだらいいのか? その方法がわからない」

だけど、
方法さえわかれば、
一歩を踏み出すことができるはず。

いきなり大きく稼げるようになるかどうか?
それはわかりません。

ただ、
ちょっとでも稼げるようになる、
その方法がわかり、実践して、
いくらかでも手にすることができれば、
そこから広げていくことができます。

月にプラス5万円の報酬をゲットして、
それをさらに膨らませていくのは、
難しいことではありません。

そのために、なにをどうしたらいいのか?

それくらいのことは、
お伝えできます。

一気に億万長者になりたい人向けではありませんが、
一歩ずつ、着実にステップアップしたい方には、
手前味噌ながら、僕はオススメの存在です。

というわけで、
かなり長くなりましたが、
僕のストーリー、独白でした。

 

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