須賀です。
カセクシス、という言葉に初めて触れました。
僕がマーケターだからといって「稼ぐシステム」
とかいう意味ではありません。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
によると、
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カセクシス/cathexis
精神分析の用語。備給,充当ともいう。心的エネルギー (リビドー) がある特定の観念や記憶,あるいは思考や行動に貯留されること。たとえば愛情が特定の対象に向けられ,そこにたくわえられることをいう。対象,観念,行為のもつ感情的価値,あるいは目標と,それに対応する動機との結びつきを意味する。一般的には,ある対象に愛着,執着を感じることをいう。
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デジタル大辞泉の解説では、
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精神分析理論で、精神的エネルギーが、特定の活動・観念・物・人などに向けつづけられること。特定の人や物に対する好悪の感情が、いつまでも続くこと。
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もっとわかりやすく言うと、
ある対象に「のめりこむ」ってことです。
例としてわかりやすいのは、趣味ですね。
園芸にカセクシスがあるとすると、
園芸を愛し、熱中しているわけです。
庭はとても大きな意味を持ち、惹きつけられ、
のめりこんでいて、日曜の朝から飛び起きて
庭に出て、旅行もせず、妻も放っておくほど。
庭について造詣が深くなり、自分の内側に
庭を取り込むことになる。
園芸を「愛している」状態になっています。
そう、「愛」の話なんです、今日も。
ここに実は問題があるのです。
多くの人はカセクシスと愛とを混同している。
つまり、ある対象を「愛している」と言うとき、
そこに愛があると勘違いしているのです。
ここで、先日も紹介した愛の定義をもう一度
確認してみましょう。
「愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を
培うため、自己を広げようとする意志である」
重要なのは「精神的成長」の部分です。
もちろん、園芸、ひいては農業を通じて自己の
精神的成長が促されることはあると思います。
しかし、多くの場合はカセクシスから愛の
段階へと移行はしていないものです。
要は、恋している段階であって、愛にまで
至っていないってこと。
(恋はまさにのめりこんでいるだけの状態)
母性愛も場合によってはカセクシスの状態。
本来、母の子に対する愛というのは、
子どもの「成長を促す」ものなので、
どこかの時点で「自立」に導くべき。
でも、多くの母親にとって、子どもを
いわば「追い出す」ことは難しいもの。
「愛している」という名目で子どもを
過保護にし、成長を妨げます。
母親に限らず、父親にも言えることです。
夫婦関係でも、夫が妻に対して過保護な
接し方をすることで成長を阻害している
ケースはよくあると考えられます。
僕の父は「危ないから」という理由で
母が運転免許を取ることを許しませんでしたが、
それによって母の行動範囲は大幅に
制限されることになりました。
こういう感じ。
ありがちでしょ?
いいか悪いか、って一概には言えません。
ただ、「愛する」という行為は、あくまで
相手の成長を促すことであるなら、
とるアプローチは変わってくるはずです。
親子だけでなく、夫婦でも恋人でも、
友人でも自分自身に対してでも、
「愛する」ということについて、
その具体的な内容が適切か?
ただ甘やかしているだけじゃないか?とか、
振り返ってみる必要、ありますよね。
もちろん、僕自身も。
(自分に甘すぎる…)
では、また。
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