須賀です。
公共の場に行くときにはマスクをつける。
いまやこれは「常識」となった感があります。
たしかに、スーパーや食料品店などでは、
マスクしたほうが衛生的にはいいですよね。
ウイルス対策にはならないんでしょうけど。
それはそれでOKという感じがします。
どこもかしこもマスク着用、というのは
まー、ナンセンスですよね。
みんなわかってるけど、
そうしといたほうが文句言われないし、
くらいのもんでしょう。
この「常識」について。
アインシュタインの言葉。
・・・
常識とは、18歳までに身につけた
偏見のコレクションのことである。
・・・
そうですよね?
常識って結局は個人的なもの。
「みんな、普通はこうするもんだよね?」
という、個人的な思い込みが常識です。
なので、その中身は人によって違う。
文化的背景、生まれ育った環境が違えば、
まったく違うものになるわけです。
日本では、
「人様に迷惑かけちゃいけない」
と、子どもの頃から教わると思います。
が、インドでは、
「あなたも迷惑かけて生きてるんだから、
あの人のことも許してあげなさい」
みたいに教わるんだとか。
日本国内だって、
毎日毎日、満員電車に乗って通勤して、
残業するのが普通、という人もいる。
それに対してフリーランスは、
好きな時間に好きな場所で仕事するのが普通。
フリーランスの中でも、
毎日決まった時間に起きてルーティーンを持って
仕事をする人もいれば、日によって起きる時間も
寝る時間も仕事する時間も違う人もいる。
人それぞれなわけです。
それぞれが自分にとっての「普通」を生きている。
そう考えると、
普通、常識、という言葉には、
なんの意味もないと思いませんか?
私の普通、私の常識は、
あなたの普通、あなたの常識とは、
まったく一致していない可能性がある。
というか、一致してないんです。
1mmも合ってない。
この了解が重要だと、
僕は思うのです。
人はみな違う。
たとえ長く同じ会社にいようとも、
長年の夫婦生活をしていようとも、
気心の知れた友人同士であっても、
普通、常識の認識は一致しない。
だから、すり合わせが必要になる。
「人間同士の誤解というものは
臆病な遠慮から生まれてくる。
衝突を恐れず、話し合わねばならない」
という山岡荘八の言葉もある。
いま、
「私はどうしたいのか?」
という問いを持つこともあるでしょう。
そんなときに考えてみてもらいたいのは、
普通、常識という思い込みを捨てること。
普通ならこうすべきだろう
常識的にはこうするだろう
それが、あなたの役に立つなら採用すればいい。
もし、そうでないなら、
なにかを変えるタイミングなのかも。
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