須賀です。
あなたは、日々どんな悩みを抱えているでしょう?
消費税が8%に上がった昨日、
僕は100円ショップでひとつ買い物をしました。
会計で、店員さんは、
「108円になります!」
と。
ホントに増税されたんだなと実感したと同時に、
「煩悩の数と一緒だな…」
と思ったわけです。
108つの煩悩、とよく耳にしますが、
煩悩ってなんでしょう?
Wikipediaで見ると、
・・・・・
煩悩(ぼんのう、梵: क्लेश, kleśa, クレーシャ、巴: kilesa, キレサ)とは、 仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。
英語では、Kleshasと表記する。
同義語として、「漏」(ろ、梵: aśrava, アーシュラヴァ、巴: asava, アーサヴァ)が用いられたりもする(例:漏尽通)。 原始仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、その縁起を把握・克服する解脱・涅槃への道が求められた。
部派仏教の時代になると、煩悩の深い分析が行われた。
・・・・・
と、あります。
で、108という数字は、
要は「いっぱいある」っていうくらいの意味であって、
具体的に108つ挙げられてはいないようです。
「身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う」
とありますが、
仏教の目的って、そもそもは、
「ブッダになること」
なんだそう。
じゃあ、ブッダってなにかというと、
簡潔に、一言で言えば、
人格者
ですね。
ブッダは神ではなく、
例えばカリスマだとか、成功者だとか、そういう呼称で、
生きているうちになるもの。
仏教の宗派の違いは、僕が思うに、
ブッダになるための方法、やり方の違い
だと。
最終目的地は一緒だけど、ルートが違うってことですね。
ブッダになるために必要なことはなにかって言うと、
・・・・・
悪いことをしない
善いことをする
みずからその心を清める
これが諸仏の教えである
・・・・・
と釈迦が言ったそうです。
(釈迦はブッダのひとりであって、仏教はブッダという神を信仰する一神教ではない)
悪いことの定義は、
自分の為にもならず、人の為にもならないこと
善いことの定義は、
自分の為になり、人の為にもなること
ざっくり言うと、そういうこと。
で、108の煩悩は、
このことから考えると、悪いことなわけです。
私利私欲のための行動とか、
殺生とか、不倫とか、そういう。
大きな枠で考えると、
人の悩みっていうのは「悪いこと」に分類されるんですね。
「ああしたいのに思うようにいかない」
って考えているそれは、
全体の為になっていない、ということ。
わかりづらいですかね。
つまりは、
自分の為になり、人の為になること
は、自明の、わかりやすいことなはずで、
そうでないから悩むんじゃないかと。
ってことは、
自分の為に重きを置いているか、
人の為ばかりを考えいているか、
バランスが取れていない。
だから、
善いことではない。
そういうイメージです。
なにも、
仏教を信仰しましょう
と言っているのではありません。
昨日から
『仏教の真実』田上太秀 著 講談社現代新書
を読んで、影響を受けたからにすぎません。
特定の宗派に偏る必要がないんじゃないか、
という印象を持ちますね。
この本を読むと、仏教に対する思い込み、
いらない誤解がとけるかもしれませんね。
仏教に対する、フレキシブルな立場になれると感じます。
気になる方はぜひ。
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Mail from Yamato Suga
2014/04/02
発行者:須賀和
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