当たり前が変わるとき

須賀です。

フェミニストと呼ばれる人は、
いつから出はじめたのか?

僕がいま読んでいる本の中では、
18世紀と書かれているんです。

メアリ・ウルストンクラフトさんが
1792年に「女性の権利の擁護」という
論文を発表したのが最初だとか。

それまでは女性差別に対して
声を上げる人はいなかったのか?
というと、いなかったわけではない
かもしれませんが、運動はなかったよう。

なんでか?

男性が優位であることが当たり前で、
女性もそれに疑問を持つ人が少なかった
ということのようですね。

社会の構造として、それが当たり前の
こととして共通認識としてあった、
みたいな話です。

現代のフェミニストは、こういう時代を
「女性が抑圧されてきた」と表現する
かもしれません。

そういうことでもないようで。
要は、役割分担として機能していた、
といった感覚でしょうか。

目に見えなかった、ということ。

ただ、
社会の構造が変わっていくにつれて、
それこそ「女性の権利」的なことが
主張されるようになってきた、と。

この背景にあるのは、
「平等」という概念。

人として生まれたからには、
男性も女性も平等ではないか?
と考える人が増えてきた。

そこから時代を経ることで、
人種差別や、その他の性についても
広がっていきました。

平等にともなって、人は新たに
「権利」を主張するようになった。

優位に立っている人たちと同じ権利を
自分たちも生まれながらに持っている、
等しく扱われるべきである、
ということですね。

もっともなことです。
異論はありません。

こうして「平等」という概念の
発見によって、当たり前が変わった
という話なんですね。

で、いまの状況もそうだと思います。

多くの人が「当たり前」だと思っていた
信じ込んでいたものが崩れているし、
これからも崩れていくでしょう。

わかりやすいのは出勤とかそういう話。

みんながみんな満員電車に乗って
「9時」を目指して会社に向かうって、
いったい、なんだったんでしょう?

当たり前じゃなかった、というのが
わかってしまったわけでしょ?

逆に最近できた当たり前は、
「外に出るときにはマスク着用」
でしょうね。

それもそのうち崩れるわけです。

で、なにが新しく出てくるのか?は、
まだわかりませんね。

アインシュタインは言ったそう。
「常識とは、18歳までに身につけた
 偏見のコレクションのことである」

あなたの常識、当たり前は、あなたにしか
通用していないんですよね。

他の人は、また違った常識を持っている。

常識とは、あなたにとっての当たり前でしかない。

常識、という言葉が意味をなさなくなる、
それが多様性を受け入れる入り口かもしれない。

マナーやエチケットは別の話ですよ。

でも、これまでだって、常識って、
役に立ったこと、ありますかね?

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