消しゴムの思い出

須賀です。

消しゴムって、
最後に使ったの、いつでしょう?

鉛筆やシャーペン、社会人になると
あまり使わなくなるものでは?

いまの小中学生、高校生、大学生でも、
いったいどれくらいの世代までが
使っているのでしょうか?

まったくわかりませんが、
僕はたまーに使うんですよ。

どういうときかというと、
「ラフ」を書くときです。

紙のチラシやウェブページでも、
全体のレイアウトを提案するときには
紙にシャーペンで手書きするんです。

チラシの場合、
B4サイズなら、その紙を折ったりして
大体のレイアウトを決めて、おおまかに
「この場所にこんな写真、テキストはこれくらい」
みたいな感じで書き込んでいく。

そのイメージの修正のときに使うのが
USBメモリくらいの小さな消しゴム。

いつ買ったのかわからないくらい前から
バッグに入っているんだけど、減る気配が
まったくありません。
(仕事してないと言われればそうだけど…)

この消しゴムを使う感触、
他にはない、独特の感触です。

もったりとして、でも粘着質すぎず、
ある程度はついてきてくれるけど、
力を入れすぎるとキレてしまう。
(消しゴムか紙のどちらかがね)

不思議な硬さで柔らかさ。

これを絶妙に表現した方がいるんです。
消しゴムと聞くと、僕はこの一文を思い出す。

「軀(からだ)の上に大きな消しゴムが乗っかっている」

ヌリカベでもなく、こんにゃくでもなく、豆腐でもなく、
消しゴムが乗っかっている。

なぜ消しゴムなのか?といえば、
この一文を書いたのが文筆家だからでしょう。

その重苦しい感じ。
筆が進まない、執筆に悩む感覚の表現ではありません。

これ、部屋のガス漏れ時の体感を表現したもの。

全文を読むと「恐ろしさ」が伝わってくるのですが、
書いたのは、向田邦子です。

没後40年で再注目されているらしい。

いやね、いまさらですかという感じもしますが、
向田邦子は天才なのですよ。

僕が「文章を書く仕事」に憧れた大きな理由に
沢木耕太郎さんの存在があるのですが、
その沢木さんが、向田邦子の『父の詫び状』の
解説文を書いているのです。

そこから興味を持って読んだのですが、
まー、なんとも言えない。

「視覚的な文章」と表現されるようですが、
つまり、「目に浮かぶよう」ってことですね。

加えて、消しゴムが乗っかっているのが
わかるような感じですから、五感が刺激される、
そういう全体的な文章なのでしょうね。

もし、
「向田邦子みたいな文章が書けるようになりたいんです!」
という人が目の前に現れたとして、
「どうやったら書けるでしょうか?」
と聞かれたら…

「同じ経験をするしかないでしょうね」
って感じで答えるでしょうね。

ま、それは無理な相談ということ。

戦争を体験しろとは言えませんが、
本当に、様々な体験をして、それを
いろいろ表現していく中で、自分の
独自の表現が身につくのでしょう。

「同じような」文章を似せて書くことは
できるかもしれませんけどね、しょせんは
◯◯風の文章にすぎません。

自分の独自のものを創るなら、
よく読み、いろいろ体験して、
よく書いてみるしかないのでしょうねぇ。 

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