須賀です。
教育は国家百年の大計、なんて言われます。
誰が言ったのか知りませんけど。
(中国の古典にあるとかないとか)
ふと思うのですけど、
この「教育」という漢字の組み合わせそのものが
教育に合わなくなっている気もするのです。
教え、育てる。
大人が子どもに知識やらを提供していって、
いっぱしの社会人に育てる、みたいな発想が、
そもそも時代にそぐわなくなってるんじゃない?
教育の前提にあるのはきっと、
大人のほうが知識や経験が豊富であり、
子どもは無知であるということですよね。
たしかにそれはそうなんだけど、
これからの予測不可能な社会ので、
大人がすでに持っている知識と経験が
子どもたちの参考になるのかね?
もちろん、なる場合もあるでしょう。
同時に、ならない場合も多いでしょう。
昭和の時代はそれで良かったでしょうけど…
平成の時代はそれで良かったでしょうけど…
コロナ以前はそれで良かったでしょうけど…
こういう感じですよね。
「過去はこうしたらうまくいってたよ」
「だから、そこから学べばうまくいくよ」
それは間違っていないと思うんですけど、
時間軸の置き方を変える必要がある。
過去10年とか30年とか50年だと短すぎる。
10年前はスマホがまだ一般的でないし、
30年前はインターネットがまだまだ、
50年前はデジタルなんて言葉すらない、
というくらいのもの。
だって、2000年問題とか言ってたのは、
もう21年も前なわけですよね。
時代は急速に変わっている。
大人たちはそのことがうまく認識できてない。
子どもたちはそんなこと、そもそも知らない。
常識、普通という感覚がまったく違う世代が
教える、教わるというのもいかがなものか。
時間軸、という話で言うなら、
1000年、2000年、3000年前からの
普遍的な人間の性質みたいなものや、
結局は変わらない社会の構造みたいなもの。
そういった大きな流れを伝えてあげて、
「これからどういう社会になるかわかんないけど
自分の頭で考えられる人になってね!」
みたいなことしか言えないと思うんですよ。
で、「自分の頭で考える」っていうのは、
既存の教育を受けてきた人は苦手なので、
どうしたらいいかわかんないのもしょうがない。
だとしたら、子どもたちをどう教育したらいいか?
おそらく、ガイドラインはないんです。
「教育方針」的なものをカッチリ作ろうとしても
ピッタリはまるものはできないんじゃないかな。
結論はないのです。
ただひとつ思うのは、
子どもを親が思う理想的な方向に教育しようとする、
その考え方に無理があるんじゃないかってこと。
子どもが育ちたい方向をつどつど見て聞いて、
親は手を添えていくみたいな感じでしょうか?
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
って、親世代は聞きたくなると思います。
そこがポイントなのです。
親世代は、自分で考えることが苦手なので、
すぐに誰かに「答え」を求めようとする。
答えを提供してくれる人がいた時代は良かった。
でも、今は、未来は違うわけで。
子どもたちに「未来」の答えを提供できる大人は
誰一人いないわけですよね?
じゃあ、
どうやって子どもたちを教育したらいいか?
答えはありません。
一緒に試行錯誤するしかないと思います。
大人が教えられることなんてわずかでしょう。
その前提を持てるかどうか?が
ポイントになる気がします。
子どもがいないどころか結婚もしてない
お前がなにを偉そうに言えるのか?的な
言葉が飛んできそうな気もします。
でもね、目の前に子どもがいないからこそ、
近視眼的にも感情的にもならずにすむのですよ。
※写真はつい最近制作に携わったチラシ。
この映画、オススメです。vimeoでも見られます。
コメント