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Mail from Yamato Suga
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須賀です。
あなたは、出来事をどんな角度から見ているでしょう?
僕は最近、2人の方からほぼ同じ内容の話を聞いたんですよ。
おおまかに言うと、こういう話。
「普段、あると思っているもの、いると思っている人、起きると思っているなにか、そういった当たり前だと期待していることに、あらためて感謝しよう」
「期待を感謝に変えよう」ってことなんですね。
当たり前にある、いる、起こると期待していることが、期待通りにないと人はストレスに感じますよね。
でも、そもそも、当たり前だと思っていることは当たり前とは限らないんだと、それが身の回りにあることに感謝できたとしたら、人生の彩りが変わるんだよと。
そんなお話です。
実は、この2人の方は、その話をする直前にある人のセミナーを受講していて、そこで学んで、いいなと思ったことをアウトプットしていたわけですね。
そのある人は英語で話す方なので、この2人は同じように日本語に訳していたんだと思います。
僕はこの話がしっくりこなくて、なぜかと考えてみたところ、「期待」という言葉と伝えたい内容がイマイチ合っていないんじゃないかと思ったんです。
日本語でよりしっくりくるように言い換えるなら、
「当たり前を感謝に変えよう」
のほうがいいんじゃないのかなと。
ちょっとした言葉の違いなので、人によっては「大した問題じゃない」と思うでしょう。
ただ、この言葉の選び方によって、伝わり方が大きく変わります。
角度を変えてみるんです。
海外の映画でも、セリフの翻訳者が変わると雰囲気が大きく変わります。
翻訳者が見る、聞く、感じる角度によって、解釈が変わりますから。
通訳、翻訳で考えると、オリジナルのニュアンスになるべく近づけようとしなくてもいいんじゃないでしょうか?
日本語でも同じです。
インプットした知識をアウトプットするときには、自分なりの解釈を追加して、つまりは角度を変えて、やったほうがいいはず。
同じ内容でも、自分の色、キャラクターがついたほうが、読み手、聞き手は受け入れやすいんじゃないかと思うんですよ。
その人のキャラクターで色付けされていれば、いつもと同じ言語、表現で伝わるわけだし。
つまりどういうことかと言うと、
学んだとおりに、同じように伝える必要はない
ということ。
情報発信の元はあなたなんですから、聞いた話や学んだことをどう解釈し、どんなふうに加工するかは自由です。
むしろ、オリジナルとまったく同じのほうが問題になりやすい。
角度を変えて、アレンジを加えてみる。
または、似たような話、全然ジャンルの違う話と組み合わせてみる。
そうすることで、読み手、聞き手はオリジナルとはまた異なる価値を得られるようになるのでは?
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