あなたはどこかで、誰かに「許可を求める質問」をしていませんか?
小学生が授業中に手を挙げて、
「トイレに行ってもいいですか?」
と教員に聞くかのような。
その質問、ホントに必要なものでしょうか?
本来なら、
「トイレに行ってきます」
ですよね?
このレベルの質問を、
大人になってからもする方がいます。
極端な例で言えば、
「私は私のやりたいことをやってもいいでしょうか?」
と、誰かに質問しているんですよ。
これに対する答えって、ひとつしかないはず。
「どうぞ、ご自由に!」
ですよ。
そりゃそうですよね?
ご自身のことですから、
ご自身で判断して、選択して、責任を持つ。
当然です。
でも、タイトルの、
「これでいいですか?」
とか
「これで合っていますか?」
といった質問をする方って、
実際にいます。
なんでこんな質問のしかたになるんでしょう?
そもそも、オカシイですよね?
でもやってる。
ただ、僕も気持ちはわかります。
僕もこんな聞き方をしちゃうときありますから。
新しいことをやろうとするときには、
誰でも不安になる。
だから、
自分がその方向に進むのがいいのかどうか?
その許可がほしくなるわけですね。
小学校、中学校、高校のときの教員との関係性が、
いまでも身体に染み付いているから、
やっていいこと、いけないことの基準を、
他の誰かに求める習慣がある、ということです。
本来、
相手に確認を求めるとか、
相手に相談をするときには、
「これでどうでしょうか?」
と聞くものじゃないかと、
僕はそう思うんですよ。
この聞き方をするときには、
(私はこれがいいと思っているけど)
という前提というか、
個人の意志がありますよね。
これは、方向性、コンセンサスの確認であり、
相談して改善に向けて話しあおうという、
そういう能動的な姿勢があると、
そう感じられます。
対して、
「これでいいですか?」
は、相手のOKを求めるためのものであって、
受動的な印象がありますよね?
さらに言えば、
決定を相手に依存していますよね?
それによってうまくいかないことがあるとしたら、
「あなたがOKと言ったからそうしたのに!」
といったクレームも予想されます。
ってことは、
「これでいいですか?」
の方は「他責の人」として警戒が必要になります。
「あなたの言うとおりにやったのにうまくいかなった。
だから、その責任はあなたにある」
とか、平気で言える人。
「最終的にどうやるのかを選択したのは、あなたです」
という当たり前の論理は1mmも通じない(笑)
最終的に、なにをどうやるのか?を決めるのは、
自分自身です。
「そうは言ってもいろいろあるから…」
とか言う人もいますけど、
自分自身のことですからね。
あなたのことを最終的に決めることができるのは、
あなた以外の誰にもできませんし、
それを他の人に委ねるようなことがあるとしたら、
はっきり言って、
クレイジーです。
というわけで、
僕の好きな格言で、今日はまとめます。
どうか僕を、幸せにしようとしないでください
その役目は、僕にまかせてください
・
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Mail from Yamato Suga
2014/08/27
発行者:須賀和
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