須賀です。
人間の行動って、究極的には
このふたつに分かれるそうです。
接近か回避か。
以上。
それしかない。
好きなもの、欲しい物には接近し、
嫌いなもの、いらないものは回避する。
で、その選択の基準も単純明確。
生存と生殖、のため。
まず生存がある。
これもわかりやすい話で、
食べるものがなければ死ぬ。
だから、食べられそうなものに接近し、
ダメそうなものは回避する。
食べることが満たされたら、
生殖に目が向くんだそう。
ここに社会性も加わるんですね。
食べることにつながり、
生殖につながる相手を求める。
で、現代人はこれらを象徴して、
・お金
・健康
・人間関係
を求めるようになっている。
この3つが生存と生殖に直結しているからでしょう。
どれかが欠乏していると、
充足するために行動を起こす。
欠乏と充足も根源的なもの。
欠乏のサインが出れば、
充足に向かって行動する。
人が行動を起こすのは、
欠乏を満たすためとも言える。
空腹を満たすために食べる。
病気を癒すためになにかする。
寂しさを解消するために人と会う。
でね、この満たし方、解消のしかたが
人によって違うそうなんですよね。
それが接近と回避のバランスに表れる。
例えば、未知のキノコを発見したとする。
それがシイタケに似ていて美味しそう!と
思う人は「接近」して食べてみる。
でも、毒キノコかもしれない、と思ったら
「回避」して食べないわけです。
そのキノコが食べられるものかどうか?を
調べることができない状況であれば、
回避して食べないのが正解かもしれません。
が、情報化社会になったいま、
どっちが正解なのでしょうか?
キノコの話は例えにすぎません。
つまりは、新しい情報に接したとき、
取り入れるか?取り入れないか?
どっちがいいのか?ってことです。
最先端のテクノロジーはなんでも、
とりあえず試してみよう、ってことでもない。
5Gがいいか悪いか、わからないし。
最先端のやつに限らない話です。
こんなタイミングだから、
古来からある知恵に目を向けよう、
というスタンスもあるわけです。
暦や農、手仕事とかもそう。
これまで通り、というのが見直されるいま、
これからの生き方として、これまでとは違う
情報に「接近」してみるのもいいのでは?
それがどんなジャンルでもいいと思います。
新しい世界に触れるのは、ときに恐怖ですが、
発見の喜びと楽しみも同時にあります。
今まで知らなかった、触れてこなかったこと、
思い切ってやってみるのもいいかもしれません。
いま、思いついたアレ、やってみましょう。
コメント