須賀です。
真善美。
どこかの女性の名前ではありません。
しんぜんび。
真、善、美。
真は、社会のシステム的に合っているかどうか?
善は、コミュニティの道徳にかなっているかどうか?
美は、自分の美意識に沿っているかどうか?
こういう話ですね。
バランスが整っているのがいい、
ということなのかもしれません。
ここで気になるのは、
どういうバランスか?
なのですね。
もしかしたら、多くの人は、
真と善に傾きがちなのでは?
システムと道徳に自分を合わせる、
そういうスタンスが基本になっている。
社会的な「ルール」「常識」に合わせる
でないと、日々の生活の糧が手にはいらない、
だからしかたがない、ってことですね。
だけど、中には、
美を生活の中心にしている人もいます。
自らの美意識こそがすべて、
というような。
求道者のように、ただ美を追い求める。
そういう生き方って、理想的だと思います。
世俗との距離を絶妙に保ちながら、
自分のスタンス、美意識を追求できたら
どんなに幸せなことだろうか?
そう思うかもしれません。
でも、とても難しいです。
昨日、とてもアーティスティックな方の
話をじっくりと聞いて理解しました。
美だけでは生きていけない。
この貨幣経済、資本主義社会では。
システムが変革するとしても
しばらくは今の感じで進むわけで、
無視してどうこうできない。
真=今の社会の最適みたいなもの
善=みんなが良しとしていること
これらはすぐには変わらない。
ゆっくりと変わっていくんですけど、
すぐじゃないんですね。
惑星と同じ、かもしれません。
月だって、満ち欠けするのにひと月かかる。
だけど、変わってはいきます。
そのスタートはどこからか?
これは「美」からです。
個人の美意識の変容が、
集団の美意識や文化につながる。
それが善の変化になっていって
さらに真が影響を受けていく。
真=社会のありよう、によって、
また個人の美が揺さぶられていき、
集団の善が見直されて真が更新される。
こういう螺旋的なループがある。
今の状況も同じでしょう。
真善美のアップデートのタイミング。
美は美意識でもあり、
つまりは、個々人のスタンスの話。
自分を見直してみて、
自分にとっての美を認識して、
それを追求していくこと。
そのスタートから、
善と真が変化していく。
順番を、そもそも変えないとね。
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