存在の全体、という認識。

 
須賀です。

以前にご紹介したことのある、
アフリカ、モザンビークからお金の
革命を起こそうとしている合田さん、
セミナーのときにある質問に答えてくれました。

「アフリカや途上国で活動するとき
 死の恐怖ってないですか?」

普段、日本にいることしかなかったら、
当然のように気になることだと思います。

事故や事件に巻き込まれたり、日本人だから
という理由で強盗に遭うかもしれない。

でも、合田さん、こう答えました。
「この世界の、存在の全体から必要とされている
 としたら、簡単に死ぬことはないと思っている。
 もし死ぬとしたら、自分は必要とされていない」

存在の全体、という言葉、聞き慣れないですよね。

どういう意味か?というと、
この世界の生きとし生けるもののすべて、
というような感じです。

宇宙全体と思ってもいいでしょう。

哲学的な考え方のひとつで、この世界(宇宙)は
完全にバランスが取れている、というのがあります。

必要な人やものは存在していて、
不要なものは存在しなくなっていく。

じゃあ、テロリストとかも必要なの?
と思うかもしれませんが、それはそれで
必要ということになるのです。

テロリストって、こちら側から見たら悪ですが、
向こうとしてはあれが正義の表現なので。

正義にもいろいろ種類があるわけです。
単純にいいとか悪いとか言えない。

で、この調和の取れた世界の中に生きている
のであるなら、自分がその調和の中で果たす
役割がある以上、生きていることができる。

さらに言うと、存在の全体の中にある以上、
自分には、あなたには必要とされる役割が
かならずあるということです。

急に壮大な話に聞こえるかもしれません。

ただ単に、子を産み、育てるという、
生物学的な連鎖をつなげるだけの人生も
あるのかもしれません。

でも、それだけ、という人であれば、
この文章を目にすることはないでしょう。

おそらくね。

家族のための人生、地域社会のための人生、
国のための人生、世界のための人生、
さらに高次元のための人生、いろいろある。

どれだからいいとか悪いとかではなく、
もし、なにかいま、やっていることに
充実感がないとしたら、立ち止まって
考えてみてもいいかもしれません。

自分は、誰に、何を、どのように提供するのか?

すぐに答えが見つからないとしても、
探求しつづけていく価値があります。

存在の全体の中での自分自身。

認識しようとすることで、あなたの
立ち位置に変化があるかもしれません。

お試しあれ。

では、また。

 

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