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Mail from Yamato Suga
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須賀です。
あなたは、あの人に対してどんな評価をしているでしょう?
その評価は、良い悪い、好き嫌いなど、今でも現実に則した適切なものでしょうか?
僕は最近、これまで親しくしてさせていただいていた数名の方に疑問を持つようになりました。
同時多発的に。
「え? ここでそんなこと考えるの…?」って感じです。
今まで、いわゆる「木を見て森を見ず」な見方をしていたのかなぁと。
ま、つきあいが長くなってきたので、いろんな面が見えるようになったんだろうなと思います。
また、相手の方も、長いつきあいの結果、いろんな面を見せるようになってきたのかもしれません。
これについては、いいところもあれば悪いところもあるでしょう。
それを踏まえて、僕自信がどんなつきあい方を選択すればいいかを決めればいいだけ。
人事評価を見直すときなんだなということですね。
こういうことってあると思います。
去年もありました。
どうにもうまくいかない人間関係を清算せざるを得なくなった。
これって、原因はふたつ考えられます。
ひとつは、相手の成長に自分がついていけなくなったということ。
相手は成長しているのに、自分は相変わらずのままなせいで、なんとなく波長が合わなくなってしまう。
使っている言語もズレて、考え方や習慣もズレて、違和感や不快感をよく感じるようになる。
ふたつめはこの逆で、自分が成長しているのに、相手が成長していない。
これでも、同じような現象が起きます。
どちらのパターンにせよ、どちらか一方のステージが変わってしまうと、極端な話、生活のすべてがズレるようになります。
ビジネスでも、恋愛でも、結婚生活でも、どんな人間関係でも起こりえます。
これはしょうがないこと。
割り切るしかない。
夫婦の間であれば、これが原因でケンカするようになるかもしれない。
こうなったら、相手、もしくは自分が同じステージに上がろうとして、実際に上がらなければズレが解消することはないですよね。
やはり、「あ、ズレたな」と感じたら、早々にその人間関係には見切りをつけるほうが、お互いのストレスは少ないんじゃないかと感じます。
これ、別の例えで言うなら、こんなことかもしれません。
ある夫婦がいたとして、どちらもこれまで無宗教。
それが、なにかのキッカケで、どちらかがカルト宗教を信仰するようになった。
信仰するようになった方は、相手にも信心を勧めている。
こうなった場合、あなたが勧められる側だったとしたら、別れるか自分も信仰を選択するか、どちらかしかないでしょ?
僕の身の回りで新興宗教に関するトラブルが起きたわけではありませんが、ひとつの例えとしてわかりやすいかと。
で、人事評価の見直しです。
「この人って、こんな人だったんだ!」
というのは、良い意味でも悪い意味でもありえます。
なにかわかりやすいキッカケがあれば、評価を見直すのは簡単かもしれません。
だけど、難しいのは、惰性でつきあってきた人達です。
なんとなく快適だからとか、そういえばいつも一緒にいるとか。
よく一緒に時間を共有している5人の人の平均年収が、あなたの年収になる。
とか言われます。
ということは、自分がいつも一緒にいる人を、積極的に選ぶことも意識していいでしょう。
「年収を基準につきあう人を選ぶのかよ」とか言う人もいるかもしれませんが、自分がまず収入を上げたいと思ったら、その方法はアリでしょ。
ある程度以上の収入の人達って、やはり基本的に考え方が違うなってことを僕も感じますし。
なるべく一緒にいることで、その考え方や行動を目の当たりにして知り、吸収することはひとつのやり方ですよね。
誰と接触する時間を増やし、誰と接触する時間を減らすのか?
その意識を持って、戦略的に人づきあいをするのも有効です。
誰と一緒に時間を過ごしたいのか?
考えてみてはいかがでしょう?
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