革命か死か

須賀です。

覚悟をともなうときがあります。

前進か撤退か、二者択一。
生きるか死ぬかの状況。

タイトルの言葉は、
キューバ革命の英雄とされる
エルネスト・チェ・ゲバラが
キューバを離れるとき「別れの手紙」に
書いた一節。
(娘さんへの手紙だったかな?)

いきなり重いテーマで始まりましたけど、
なんか、こういう思いつめた状況の人、
いま、これから増えるのではないか?
という危惧があるのですよね。

「ケ・セラ・セラ」の
「なるようになるさ」みたいな
楽観主義発祥の地(?)イタリアが
大変なことになっているわけで。

新型ウイルスに感染するかどうか?
も心配だと思うんですけど、
もっと不安になるのは、
「これからどうなるの?」ってこと。

「どうなるのか?」の
答えはないんですよ。

誰もわからない。

簡単に不安は解消されない。

ウイルスを仕掛けた人が仮にいるとして、
その人がどんな目的で、どうしたいか?
を考えたらわかるかもしれないけど、
推察でしかないのでどうにもならない。

それは仕方がないとして飲み込んで、
これからどうすんのか?

どうすんのか?ですね。

会社が、組織が、自治体が、政府が、
どうしてくれるのか?は、わかんない。

期待してもしょうがない。
応えてくれる保証はない。

とってもホワイトな職場だとしても
会社の体力がどれだけもつかわからない。

そんな状況の中で、
自分は、家族はどうすんのか?

これは、昨年流行った
「老後資金2000万円問題」とは違って
自助努力でどうにかしなきゃ、って話では
どうにもできないと思うのです。

もうね、親兄弟、親戚、友人、知人、
そういった「みんな」総動員で支え合って
どうにかするのがいいのかもしれません。

それで乗り切れるならOKでしょう。

「いやー、大変だったね」で終われる。

タイトルに戻りますが、
「革命か死か」としたんです。

個人が、家族が、身内が生き延びられれば
OKなんだろうか?という疑問もある。

社会の構造が大きく変わるなら、
身内単位の生き延び策は、短期的な
その場しのぎになるかもしれない。

手を広げる必要があるんじゃない?
と思うわけですね。

もちろん、短期的な解決策も必要。

そこからさらに、長期的な解決、
長いスパンでの生活基盤の構築というか、
「作り変え」を意識したほうがいい。

大きな企業や政府、自治体に頼るだけでなく、
自分たちで共同体、コミュニティを作って
「自治」を実現させていくこと。

それぞれの人が、持っているもの、
できることを与えていき、逆に、
持っていないものをもらう。

まだまだ資本主義経済ですから、
その交換の媒介にはお金が便利です。
物々交換の時代に戻せというのではない。

同時に、古き良き時代に戻るのではなく、
今あるテクノロジーをうまく使って、
物理的な地域にかかわらず、ネットで
つながっていけばいい。

最初は主義主張の同じような人たちが
集まったコミュニティが多くできるでしょう。

今でもありますよね。
ヒーラーとか飲食店とか自然食品とか。
いわゆる横のつながりってやつですね。

そのうち、
コミュニティ同士の信念の対立も起こる。

あの方法ではダメだ!みたいなね。
これも今でもあります。

信念とか理念でつながった人たちって、
異なるものがなかなか受け入れられない
って特徴もあるんです。

私たちはこの方向で行こうとしてるけど、
あの人たちはあの人たちなりの方向で
うまくいくといいよねー、みたいな
寛容さがなくなるのですね、なぜか。

ま、そういう過程を経て、そこから
もう一歩踏み込んで進化すれば、
共同体がつながって、より大きくなるはず。

そんな、社会構造のゆるやかな革命が
起こるタイミングなのだと思うのですね。

革命が進行しない可能性もあります。

だとしたら、多くの人が死にます。

現状にしがみつこうとしたら、
状況は悪化する可能性が高いと思いますよ。

ただ、
「なにかを変えたら良くなくなるかもしれない
 でも、良くしようと思ったら、そこには
 変化が必要だ」
ってことなんですよね。

今はいろんな意味で「過渡期」と表現する
人もいると思います。

いや、きっとね「革命期」なんですよ。

ガラッと変える、そのスタート地点。

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