敵を愛せよ。

須賀です。

争いごとはキライです。
勝ち負けパラダイムは美しくありません。

相手を負かして自分が勝つことに、
なんの意味もないのです。

でも、ビジネスは戦い、みたいに
言う人もいます。

戦いだから、しょせんゲームだから、
勝たなければ意味がない、と。

誰に勝つのでしょうか?
ライバル?
お客さん?

どちらに勝ってもいいことはないのに。
というか、負かすことがマイナス。

で、僕はずっと思っていました。

こういった、勝ち負け思考の人とは
相容れない、距離を保とう、
同じ考え方をしないようにしよう、と。

だけど、この考え自体が、
勝ち負けの人を敵視していることに
なっていると気づかされたのです。

勝ち負けさんの手法やらを否定して、
自分はやらないと考えていた。

これもまた、一種の勝ち負けだった。

実際には、大した問題じゃない。

勝ち負けの人のやり方が、
効率的な場合だってある。

それを敵視してしまったら、
自分の選択肢をせばめることに
なってしまう。

だから、敵を敵として排除するのでなく、
敵を愛することで、自分自身の選択肢を
広げ、より多くの人にアプローチできるよう
自分を整えることも大事。

「こうあるべき」と自分を制限することで
失うものもあるし、それによって、
本来広がるものが広がらなくなる。

もったいないことなのですよね。

清濁併せ呑むのが賢い戦略だとは思わないけど、
生存戦略としては適してる、ってことですね。

自分の信じるところ、理念やらビジョンやら、
そういったものをシンプルに広めたいなら、
手法を問わず、まずは広めてしまえばいい。

広まったあとで、違ったところは調整する。

Appleだって、完璧な新製品を販売することは
めったにありません。

新製品はたいてい、いろいろ不具合がある。

でも、あとから修正アップデートを重ねて
使えるようになっていき、唯一無二みたいな
存在に仕上げていく。

朝令暮改は「善」みたいな感覚。

図太さみたいなものが大事なのね。

じゃあ、美しさは捨てるのか?
といえば、そうでもなく。

どっか、他のところで美しさを発揮して、
バランス取ればいいんじゃないかな?

一個にすべてを求めなくてもいい。

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